分野的な限界
登販が薬を売るのがどんなに危険か。
わーわーうるさいのを尻目に、
仮に薬剤師になるとしたら、なんとなく
シミュレーションをしてみた。
まず第一の壁が約1,400万円の学費を
準備すること。
年間約230万円×6年分。
230万円が給料から余分にでるとすれば…
今の生活でどうしても10万は使うので、
230を12で割ったとして12万ぐらい月毎にさらに稼いでいなければ資金が組み立てられない。となると年収にすれば300万~400万ぐらいないと学費用によけるのが相当な年数がかかってしまう。正社員になれたら給料的にはワンチャンあるが…
第二の壁が時間。
学生として6年通うなら、社員の状態で勉強は正直無理がある気がする。
学費+6年間働かなくてもいいくらいの生活費→最低限の資金と時間になる。
一般家庭が一人の子供を20才まで育てるのに必要なお金がおよそ2,000万円といわれているが、まさにそのぐらい必要になるだろう。
一度退職届を出して、それだけ学べる体力気力が残っている年齢でいけるだろうか?
私はこれまでの人生の送り方からして、遺伝的にも健康寿命は多分40~50代がいいところだろうと考えている。
多分全て理想通りにいったとしても、薬剤師として初めて就職できる頃には40過ぎているのでは?さすがに現実的ではない気がするが…
そもそも年収300~400万円あったら、その会社で続けていった方が余程資金ぐりに困らないし、ハイリスクな道をあえて選ぶ必要がない。
現状富豪のための進路選択。
国立ならもっと安いだろうけど、そこにたどり着けるまでの成績を果たして働きながらできるものなのか。レアケースものだ。
もしこの先制度が変わることがあるとして、もっと低価格、あるいは時間をかけるための手段が他にできれば可能性が変わるかもしれない。
でもそれができないから、プライベートブランドのような、格安の人材を提供する方を国が選択した。
実体としては、もう個人同士でやんや言ったところで、結局現場の人たちのやりとり次第であり、直接国に対して意見を送るぐらいでしか方法がないくらい規模が大きくなっている。
やっかいなところは、企業が勝手に決めたことではなく国が決めたことであり、どのあたりの組織にメッセージを送ればいいのか、正直これこそ事件が発生するまで動かないのでは、としか…
昔子供が飲んじゃいけない薬を平然と両親から提供されていた身としては、今の時代医薬品の情報が入手しやすくなったのはとてもありがたく思う。やはりビジネス的にはおとがめしたくなる人がでるのは、どの分野でも同じだと思う。
問題点は売るものにかかるリスクで、本当に困っている人程、早く手にしたいことは分かるが、然るべき手順、診察を受けずして薬を服用するリスク。
それに対して、その人がなぜ病院を受診しないのか。全員が全員、医療に困っていなければ、わざわざ市販を買いに来なくていい。でも買いにくる。
ということは、時間か、場所か、精神的にか、何らかの理由で患者自らが市販を選択したのだろう。患者も患者だ。
私としては、今のご時世特に福祉医療は「自己責任」という名目で、どんどんなんらかの補助的存在から突き飛ばしているのだから、巡りめぐって、最後は国が責任とれーって戻ってくるだろうと予想をしている。
いくら学んだところで薬剤師並みの知識には至らないが、そういうことを言えるのは周りに薬剤師がいて暮らしが困窮していない人の集まりに過ぎない。
私みたいに独自に解決して生き残る選択をしていくならば、薬はもちろん生きていくために必要な全ての分野において全く知らないという状況はあってはならない。最期は必ず一人になる。医薬品だけでつっかかってるわけにはいかない。
薬はボランティアのみでやっていけるものではない。絶対に誰かが儲けの種として、ビジネスに導入する。
販売を阻止するとして、全員でボイコットしたら…
以前どっかの国で医者がストを起こした結果患者の症状が良くなったケースがあったというのがニュースになったのを覚えている。
医療関係者がうんぬんより、薬のことを微塵も知ろうとしない側にも問題がでてくる。それは支えてくれる補償が十分でなくなったから、それもあるし、一概に片せる問題ではない。それら問題が積み重なっていく中だから、登販っていう存在を生み落とした。
健康ブームの舞台裏、もしも薬の世話になるとしたら、あれだこれだ。
でも私はこの仕事について考えて、やはりうるさいからってそのぐらいで辞めるのはよろしくないと思う。
製薬会社やPMDAから受け取れる情報が、一般では手に入らないものがある。
理想としては医療分野の人たちと交流関係が持てれば心強いのだが、とにかく、ワンステップとして使える仕事であることに間違いはないのだ。登販って枠内に収まった発想に興味はない。誰がこれで納得するか。
制度はまだまだこれから変わるだろうし、最終的に自分ができたことは何か、それを見直す年になったとき、薬剤師になれなかった代わりに何ができたのか、はっきり言えることがあればそれでいい。
私にとって人生は常に死から逆算するものだ。