自己暗示

私からしてみると人ならではの能力だと思っている自己暗示。特に宗教的なもので。


私は今までにやったことがない気味悪いことをやることにしてみた。


一つ一つ、ことあることにめいっぱい自分を褒めて文章化してみるようにした。


割りと日頃から悲観的な私には似つかわしくない生き方だが…


驚くべきは、まずフットワークがとても軽くなった、まるで病気が嘘のように自由に体が動く。発熱によるだるさなんてなかったかのようだ。


人への関心が減り、誰にでも微笑む。自分に既に満足してるから、自信があるから笑いっぱなしなのだ。


食欲もいい感じだ。いかに自分自身が周りに振り回されているか。自分の人生に集中できているのかを見つめ直すことができた。


未来への不安や日頃のやることが切羽詰まっていても幸せでいられる気がする、私は人に誤解されるのも無理はない。何故なら私のことは私にしか分からない。共感も同情も要らない。なかなかに、充実している。


デメリットは人への歩み寄りが億劫になることだろうか。ただでさえ何を求めればいいのか、パーソナルスペースに対する理解がない私が、交流のきっかけすら放棄するようになった。


正直それでいいと思う。向き合ってくれる人はリアルにいる。一心に大切に想っているし、日頃から感謝を忘れないようにしている。


私は幸せだ。


私は想像以上に、頑張っていた。


日々の曜日や時間の感覚がなくなるくらいに、滅多にない絵が描けるインスピレーションを心から喜べる程に。


私は貧しい。免許がなく、食事が極端だったり、あまり自立できていない点がある。

衣食住が、ほとんど人の支えによって成り立っている。特に趣味に浸かるにはやることを全てほっぽり出して初めて時間ができるので、代償もつきまとう。


それでも私は幸せだ。


今の私は、自信がある。


統括する力、雰囲気を変える力を身につける意欲、大切な人の健康を気にするための実技、知識、気力がある。


同じジャンルが好きな人の中で、そもそもの家庭環境が私に近い人が見つからない。日常的な拘束時間の差が違いすぎる。離れて正解だ。衣食住の文化圏が違うんだから、そう簡単に足並みが揃うわけがない。摩擦が生じて当然である。

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